i remember nothing

文章の練習も兼ねています

真実が見える目、悲観的になる私たち

noubrain.hateblo.jp

シェアハウスの同居人と、上のような会話をした。 私はその場のノリで、ギャグのつもりで「真実が見える目があったらほしい?」と聞いてみた。 まあほしいわけないだろな、だって現実は残酷だよ、ひどいことばかりだし。

「真実なんて見えたら気が狂ってしまうよ」 「じゃあちらっと見え隠れするやつなら?」 「余計気が狂いそうだ」

たしかにそうだ。現実ってやつは残酷で、きっと本当にひどいものを見たら耐えられなくて気の一つや二つ、すぐに触れてしまうだろうな。

しかし、よく考えると、我々は真実を見たことがない。というか、そんなものあるかどうかもわからないし。 本当は真実なんてなくて、多数の解釈が存在するだけなのかもしれない。そういう考えのほうが主流かも。

でも、今回はそこは置いておいて、あえてあるという想定で考えてみよう。 真実はある(とする)。でも我々は見たことがない。ではなんでそれを気が触れそうにひどいものだと我々は思ってしまうのだろう? 身の回りでひどいことばかり起こることと、真実ってのがひどいものかどうかは無関係かもしれない。 自分の目にはひどく映るだけで、真実の目を通してみればおめでたいものに見えるのかもしれない。

「でも真実はおめでたいかもしれないじゃん」 「そうかなあ」 「我々の想像する真実が陰気臭いだけで、本当に見てみたら案外明るいものかもしれないよ」

そんな話をしたところで、しんどいときはしんどいし、生活はきついし、ひどいことばかりが目にうつるのだけれど。 それでも、そういうことを考えるのって気紛れになるし、面白い気分になる。