i remember nothing

文章の練習も兼ねています

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羹に懲りて膾を吹くという故事成語を教えてもらった。 kotobankによると、

《「楚辞」9章から》熱い吸い物を飲んでやけどをしたのにこりて、冷たいなますも吹いてさますという意。前の失敗にこりて必要以上の用心をすることのたとえ。

ということらしい。

楚辞ということは紀元前300年ごろにできた故事成語なのだろう。 あの頃からなますはあったのか。古い食べ物だ。

自分が普段暮らしていて食事の選択肢になますが入ることはまずない。 暑いなあ、なます食べたいなあとかふと思わないので、代わりにアイスを食べる。 アイスを吹いてさます老人を想像すると楽しくなってくる。

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学校が嫌いだった。というより、自由度の低い人間関係が苦手だった。今もあまり得意ではない。

学校では、みんなその場にいない人の話が好きだったように思い出される。

あいつは自分より怠けているくせにバツを受けなくておかしいとか、ブサイクのくせに調子にのっているとか。 とにかく学校の中に暗黙的に積み上げられた”道徳”からはみ出ている人を批判するような話ばかりをしていた。 行けば毎日顔を合わせないといけない人たちがそういう牽制を掛けあっている。 まさに互いに監視されているような、人間同士の権力関係を生み出しているという事実がつらかった。 大多数の人はそれを無意識的に認めており、その中で暮らしているということを認めるのも苦しかった。

大学に入ると、人間関係にほとんど制約がなくなった。 去る者は追わず来るものは拒む権利がある、ほとんど自由な生活ができた。この経験ができたことが、大学に入って一番良かったことだった。

でも、社会人になって会社に入ると、そういうわけにはいかなかった。

また”学校”に戻ってきてしまったと思った。 愚かにも、学校みたいな会社に入ってしまったのだ。

ロビン・ダンバーの研究で、人の雑談の65%は他人の行いの話であるみたいな統計もある。 そのくらい他人を評価し合い権力関係を生み出すシステムは人間一般に普及しているのだろう。

その色が強い場所は、私には学校のように思えた。